余計な荷物は背負わない

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新年度に向けていろいろな準備があったり、親族からの頼まれごとがあったり。

イレギュラーが多い。

気がつくと、悩みと迷いで時間を浪費。

 

自分の能力なんてちっぽけなもんなんだから、なるべく余計な荷物は背負わないようにしなくちゃ。

価値の提供

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自分が価値を提供できることって、一人で悶々としてても分からないもんですね。

昔、大学の選択に当たっては、人っていうわけの分からないものには関わりたくないなあ、と理学部系を選択した私。

趣味の活動などをしているうち、意外に「人好き」な自分が浮かび上がってきている、今日この頃。仲間に恵まれたってことが大きいかもしれないし、そんな仲間との繋がりだけが続けられてるということかもしれません。

経営者とか経営コンサルのポッドキャストなんかを聞いて、思いついたことは全てする、というのが基本だと知りました。

そして、いろいろな人とやりとりをするうちに、人とほんのちょっぴり違う視点を提供できる自分に気づいてきました。

ミドルエイジでも可能性の「種」は見つかるもんですね。

「どう育てるか」が一番の問題です。

そのために講座を利用しなさい、と言われてるわけですが。

違和感

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学校から、

「家庭でしっかりご指導ください」

と言われることがあります。基本的な生活習慣から、学習の習慣、交通ルール、ネットやスマホのルールなど、いろいろな点で言われます。

ただ、家庭では、保護者は我が子しか面倒を見たことがない。

一方、学校は多くのその年齢の子供たちの面倒を見ている。

ということは、その年齢の子供を指導するための知見は、明らかに学校の方が沢山もってるってことじゃないでしょうか。指導事項にもよるでしょうが、学校が指導するのが合理的なことも多いよなあ、と思います。保護者が頑張ろうとすると、過干渉になる恐れもあるし。

例えば、基本的な生活習慣にしても、家庭では保護者の個人的な観点からしか言えませんが、学校だったらもっと様々な事例を持ち出すことで、子供たちに押しつけではなく自ら考えさせることができるかもしれません。

あ、でも考えてみれば、保護者会では学校から保護者に様々な知見が伝えられてますね。

もし、学校から伝えられたことを保護者が我が子に伝えながら、お互いよく考えていく、なんてことができたら、保護者側も「伝える技術」を磨く機会にはなるでしょうけど、やっぱり家庭内でこれをするのはかなり難度が高い気がします。逆に、家庭内でこれができたら、仕事でも「いい上司」とか「人を楽しく巻き込む経営者」になれそうです。

今の日本で「親になる」というのは、実はこういった高難度なワザが要求されてるのかなあ。

先生に負担を強いるべき、というのではないんです。学校が先生方にとって、負担感以上にわくわく感を感じてもらえるような教育の場だったらいいですね。

進路決定の春

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各所から、進路決定のお知らせなどが入る今日この頃。

私もまずは1社、チェッカーで登録となりました。ちょっと心が落ち着きますね。

 

でも登録と仕事ゲットは違うので、またまた挑戦モードに入らねば。

決定の早さ

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意思決定の早さって、人生に影響するんだ、ということにようやく気づいたこの頃。

子供がまだ幼いとき、ママ友たちと幼稚園をどうするかというのがよく話題になっていました。私自身は「2年保育でいい、通いやすさが一番」と早くから決めてたのですが、結構「どうしよう〜」と迷っている人が多かった。(まあ今はうちの近辺では3年保育がデフォルトのようになってますがね。)

当時は「すごいなあ、そんなに子供のことを考えられるなんて」と思ってましたが、今、ちょっと離れて見ると、意思決定を先延ばししている、とも捉えられますね。

悩んでいるとそれだけで時間が過ぎるので、悩むことに時間をかける、というのは、結局「悩むこと自体が趣味レベルになってる」ってことなのか、と最近思うようになりました。

 

ま、私の場合、社長のように社員の生活がかかってるわけじゃないし、大統領や首相のように国家の行く末かかかってるわけでもない。そう考えたら早く決断できそうです。その決定について誰かに文句言われても別にいいじゃん。怖がるな、私。

 

では、作業に戻ります。